
七月の朝は、思ったよりも早くやってくる。カーテンの隙間から差し込む光が畳の上に細長く伸びて、その光の帯の上に、茶色い毛並みの柴犬・むぎが丸くなっていた。まだ六時半。娘の凛(りん)はまだ眠っているはずなのに、気づけばもうリビングに降りてきて、むぎの隣に膝をついていた。「むぎ、おはよう」と小さな声で言いながら、その背中をそっと撫でる。むぎは目だけを開けて、また閉じた。
幼いころから動物と触れ合うことは、子どもたちに動物を思いやる心や周囲の人へ配慮する心を育む
と言われている。でも正直なところ、むぎを迎えた当初、私はそんな理屈より先に不安の方が大きかった。凛はまだ三歳で、犬の扱い方なんて知らない。むぎも生後四ヶ月のやんちゃな子犬だった。案の定、初日に凛がむぎの尻尾を引っ張って大泣きさせたのはむぎの方で、凛はきょとんとした顔をしていた。あのときの「あ、やっちゃった」という私の心の中のツッコミは、今でも笑える記憶だ。
それから二年が経った。凛は五歳になり、むぎは七歳になった。ペットとの生活が日常になると、気づかないうちに変化が積み重なっていく。凛が泣いているとき、むぎは必ず隣に来てちょこんと座る。凛がご飯を食べるのを忘れてむぎと遊んでいると、むぎの方が先にお腹を空かせてキッチンに向かう。そういう小さなやりとりの中で、二人はお互いの呼吸を覚えていった。
ペットを飼育する子どもたちには、動物に関する友情や思いやりの感情が育まれ、感情面の成長はペットとの関わりが強いほど大きいという研究結果も出ている。
それを実感したのは、去年の秋のことだった。むぎが足を痛めて、しばらく散歩に行けない時期があった。凛はその間、毎日むぎの水を替え、ご飯の量を確認し、「むぎ、痛い?」と聞きながらそっと足元に手を当てていた。親が教えたわけではない。ただ、そうしたかったのだろう。
ペットとの生活は、子供の成長を静かに後押しする。それは劇的なものではなく、朝のルーティンの中に、夕暮れの散歩の中に、ひっそりと溶け込んでいる。近所にある「ハナモリ動物広場」という小さな公園では、週末になると犬連れの家族が集まって、子どもたちが自然にふれあいを楽しんでいる。凛もそこで何人かの友達ができた。共通の話題はいつも、自分の犬のことだ。
むぎの毛並みは、夏になるとふわっと軽くなる。触れると指の間をすり抜けるような柔らかさで、なんとなく麦わらの匂いがする気がする。凛はよく頬をむぎの背中に埋めて、目を閉じている。そのまま二人でうとうとしていることもある。窓の外からセミの声が聞こえ、扇風機がゆっくり首を振る午後の光景は、言葉にするには少しもったいないくらい、穏やかだ。
ペットは今や”癒し”や”かわいらしさ”を超え、家族やパートナーとしての存在感を強めている。
それはデータが示すだけでなく、こういう日常の断片の中に、確かに宿っている。凛がむぎに「ありがとう」と言える子に育っていることが、私にはなによりうれしい。ふれあいは、子どもに何かを教えるというより、子ども自身が気づいていくための時間なのかもしれない。
今朝も、むぎは光の中で眠っていた。凛はその隣で、小さな手を毛並みの上に乗せたまま、しばらく動かなかった。二人の間に流れる時間は、ゆっくりで、温かくて、何も急いでいない。そういう朝が積み重なって、子供の成長は形になっていく。私はそれを、少し離れたところから、毎日見ている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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