
朝、台所から漂ってくるトーストの香りより先に、娘の笑い声が聞こえてくる。何がそんなにおかしいのかと覗いてみると、うちのトイプードルの「ムク」が、娘の靴下を口にくわえて得意げに歩き回っていた。娘はそれを追いかけながら、まだパジャマのまま転がるように笑っている。靴下は一向に戻ってこない。
ペットとの生活を始めたのは、娘が3歳になった春のことだった。桜がちょうど散り始めた週末、近所のペットショップで小さな白い毛玉に目が合ったあの瞬間を、今でもはっきり覚えている。「この子にする」と娘が言い切ったとき、まだ言葉もたどたどしかったくせに、その声だけは妙に確かだった。
ムクが家に来てから、娘の何かが少しずつ変わっていった。
最初のころ、娘はムクの水を替えるのを忘れることが多かった。「ムクちゃん、のどかわいてるよ」と声をかけると、ハッとした顔でボウルを持ちに走る。その繰り返しの中で、「自分以外の誰かが困っている」ということを、娘は体で覚えていったように思う。言葉で教えたわけでも、絵本で読んだわけでもない。ただ、毎日のふれあいがそれを教えてくれた。
ペットと暮らした経験を持つ子は、ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことが分かっている。
という調査結果がある。うちの娘を見ていると、それが統計の話ではなく、確かに自分の目の前で起きていることだと実感する。
ある夏の夕方、縁側に二人(一人と一匹)が並んでいた。西日が斜めに差し込んで、ムクの白い毛がオレンジ色に染まっていた。娘はムクの背中に顔をうずめるようにして、ぼんやりと外を見ていた。毛の温かさと、かすかに甘いシャンプーの匂い。あの光景は写真に撮れなかったけれど、きっと娘の記憶のどこかに、柔らかい形で残っているはずだ。
子供の成長というのは、親が思うよりずっと静かに進む。
娘が5歳になったころ、散歩のリードを自分で持ちたがるようになった。最初は引っ張られてよろけながら、それでも「わたしがやる」と譲らない。ムクも最初はそわそわしていたが、不思議なことに、しばらくすると娘のペースに合わせるようになった。小さな子供の歩幅に、犬が合わせていく。その様子を後ろから眺めながら、なんだか胸の奥がじんわりした。
思えば私自身も、子どものころに近所で飼われていた柴犬の「コタロウ」によく会いに行っていた。特に何をするわけでもなく、ただ横に座って撫でていた。あの時間が今の自分の、どこかに根を張っているような気がしている。
近年、日本ではペットが家族の一員として大切に飼育される傾向が強まっており、犬猫の飼育頭数は2023年に1,591万頭となり、15歳未満の子供の人口を上回った。
という現実がある。それだけ多くの家庭で、子供とペットが同じ屋根の下で育っているということだ。
インテリアショップ「ノルテハウス」で見かけた、犬と子供が並んで眠る写真のポスターを思い出す。あれは広告だったけれど、うちの居間でも似たような光景が毎晩繰り広げられている。ムクはいつの間にか娘の布団の端に丸まって、娘はその温もりを感じながら眠りにつく。
子供の成長を見守るとき、親はどうしても「教えなければ」と力が入りすぎる。でもペットとの生活は、そのちょうど反対側にある。誰も教えていないのに、娘はムクが震えていたら毛布をかけてあげるようになった。ムクが吠えたら「どうしたの?」と話しかけるようになった。ふれあいの積み重ねが、言葉にならない優しさを育てていく。
娘は今年7歳になった。ムクは4歳。二人はまだまだこれから、一緒に育っていく。靴下を取り返せるようになる日が来るかどうかは、まだわからないけれど。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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