毎日がちいさな奇跡——ペットと子供のふれあいが教えてくれること

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夏の朝は、音から始まる。

カーテンの隙間から差し込む光が畳の上に細長く伸びて、その端っこに、うちの犬のムギがまるくなっていた。トイプードルにしては少し大きめで、毛並みはいつも寝癖がついている。そのムギの背中に、5歳の娘・ひなたがそっと手を乗せた瞬間、ムギがぴくりと耳を動かした。起こしてしまったかと娘が息をのんだのも束の間、ムギはまた目を閉じた。ふたりの間に流れた、あの2秒くらいの静けさが、なんとも言えず好きだ。

ペットとの生活というのは、こういう小さな場面の積み重ねだと思う。劇的なことは何もない。ただ、そこに命があって、温もりがあって、毎朝それを確かめるように一日が始まる。

ひなたがムギと暮らし始めたのは、彼女が3歳のころだった。最初はこわごわ近づいていたのに、気がつけば一緒に昼寝をするようになっていた。子供とペットのふれあいは、親が教えるものではなく、気づいたら育っているものなのかもしれない。

あるとき、ひなたが転んで泣いていたら、ムギがとことこと歩み寄って、涙でぬれた頬をべろりと舐めた。ひなたは泣きながら笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。言葉を持たない生き物が、言葉よりも早く届くことがある。

私自身、子どものころに柴犬を飼っていた。名前はコムギ。今思えば、コムギがいた縁側の夕暮れの匂い——干した布団と土と、どこかの家の夕飯の煙が混ざったあの空気——は、今でも鮮明に思い出せる。ペットとの記憶というのは、五感ごと刻まれるらしい。

ひなたもきっと、何十年か後に、ムギの毛の感触や、あの寝癖だらけの背中の温度を、ふとした瞬間に思い出すだろう。そう考えると、今この時間がとても愛おしくなる。

先日、近所のペット用品店「コトリノス」で、ひなたが自分のお小遣いでムギのおやつを買った。レジで財布をひっくり返して小銭を数えるひなたを店員さんが優しく待ってくれていて、私はその光景をこっそり写真に収めた。ムギへの責任感が、少しずつ芽生えているのがわかる。

ペットと子供が一緒に育つということは、子供が「自分以外の命を気にかける」練習をするということでもある。えさをあげること、水を換えること、体調の変化に気づくこと。そのひとつひとつが、思いやりの形になっていく。

ただ、正直に言うと、失敗もある。先月、ひなたがムギのブラッシングをしようとして、自分の髪用のブラシを持ってきたことがあった。ムギはされるがままで、特に嫌そうでもなかったのだが、私は心の中で「それは人間用だよ」とひっそりツッコんでいた。まあ、ムギが気にしていないなら、いっか。

ペットとの生活は、完璧な育児論とは少し違う場所にある。思い通りにならないことも、予想外の出来事も、全部ひっくるめて毎日が動いている。それでいいと思う。

ペットと暮らした経験を持つ子は、感受性を育み、命の大切さを学ぶ
という。数字や研究結果が示す前から、私はひなたを見ていてそれを感じていた。ムギがくしゃみをするたびに「だいじょうぶ?」と声をかけるひなたの横顔は、もうすでに、やさしい人間の顔をしている。

夏の終わりが近づいて、朝の空気が少しだけひんやりしてきた。今日もムギは畳の上で寝ていて、ひなたはその隣に寝転がって絵本を読んでいる。ページをめくるたびに、ムギの耳がぴくりと動く。ふたりだけの、静かな午前中。

この景色を、ずっと覚えていたいと思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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