
九月のはじめ、朝の光がまだ柔らかい時間帯のこと。リビングの窓から差し込む斜めの陽射しの中で、うちの柴犬・むぎが娘の足元にそっと顎をのせていた。娘は五歳で、まだ眠そうな目をこすりながら、むぎの耳をゆっくりと撫でていた。その手つきがあまりにも丁寧で、思わず息をのんだ。
ペットとの生活を始めて三年が経つ。正直に言えば、最初は不安だった。子供とペットが一緒に暮らすことで、どちらかが傷ついてしまうのではないかと、いろいろ調べては心配を繰り返していた。でも今は、あの頃の心配がずいぶん遠くに感じられる。
ペットと子供が一緒に暮らす家庭では、「子どもの感受性が豊かになった」と感じている保護者が約半数にのぼる
という調査結果がある。その数字を初めて目にしたとき、ああ、うちだけじゃないんだと、少しほっとした記憶がある。
むぎと娘のふれあいは、毎朝ほぼ同じように始まる。娘が起きてくると、むぎはしっぽをゆるゆると振りながら近づいていく。それだけのことなのに、見ているこちらまでなんだか胸が温かくなってしまう。ペットと子供のあいだに流れる時間は、言葉よりもずっと正直だ。
以前、娘が転んで泣いていたとき、むぎがそっと隣に座って動かなかった。ただそこにいるだけ。慰めるでも、じゃれるでもなく、ただ静かに寄り添っていた。そのときの光景は、今でも鮮明に思い出せる。犬のぬくもりと、娘の泣き声が少しずつ落ち着いていくのが、同じ速度で重なっていくようだった。
ペットとの生活の中で、子供が自然と身につけていくものがある。命の重さ、相手の気持ちを読もうとする姿勢、そして「自分より小さな存在を大切にする」という感覚。それは親がいくら言葉で伝えようとしても、なかなか届かないことだったりする。むぎとのふれあいを通して、娘はそれを毎日少しずつ、体で覚えているように見える。
少し話が変わるが、わたし自身も子どもの頃、実家でミニチュアダックスフントを飼っていた。名前はコロ。茶色くて、耳がやわらかくて、朝になると必ずわたしの布団に潜り込んでくる子だった。あの頃の、毛の感触と少し獣くさい匂い、それがなぜか今でも「家」の匂いとして記憶に残っている。
ペットと子供のふれあいには、そういう「体に刻まれる記憶」がある。大人になってからも、ふとした瞬間に蘇ってくる感覚。それはきっと、言葉や写真では代わりにならないものだ。
ちなみに先日、娘がむぎに「おやつをあげる練習」をしていた。手のひらをぱっと広げて、おやつをのせて差し出す、という動作なのだが、むぎが思ったより勢いよく食べたせいで、娘は「わあっ」と声をあげてひっくり返りそうになった。本人はびっくりした顔のまま固まっていたが、二秒後には大笑いしていた。むぎも何事もなかったようにしっぽを振っている。こういう小さなズレが、毎日のペットとの生活をじんわりと豊かにしてくれる。
最近、ペット用インテリアブランド「ハナモリホーム」の商品を取り入れてから、むぎの居場所がリビングの一角に自然と馴染むようになった。娘もそのコーナーをお気に入りにしていて、むぎと並んで絵本を読んでいることがある。夕方の光が窓から差し込む時間、ふたりが肩を並べているその景色を見るたびに、ペットとの生活を選んでよかったと思う。
ペットと住むことが飼い主の心身の健康や生活の質の向上に大きくかかわっている
という話は、専門家の間でも語られてきたことだ。でもわたしにとってそれは、統計や研究よりも先に、娘とむぎの毎朝の景色が教えてくれたことだった。
ペットとの生活は、決して完璧ではない。抜け毛も、においも、突然の病院も、ある。でも、子供とペットが同じ時間を共有することで生まれるふれあいの豊かさは、それらすべてを包んでしまうくらい、やわらかくて力強い。むぎはきっと、娘の記憶の中に、ずっと「家の匂い」として残っていくだろうと思う。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント