ペットと走る、長い道のりの話

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助手席に犬がいる旅というのは、普通の旅とは少し違う空気が流れている。地図を広げる必要もなく、目的地を急ぐ理由もなく、ただ窓の外の景色が変わっていくのを、ふたりで眺めているような時間だ。

今年の五月の連休、柴犬のムギを連れて長距離ドライブに出かけた。行き先は長野県の山あいにある小さな宿で、「ドッグラン付き」という一言に引かれて予約したところだった。出発は朝の六時。まだ日が低くて、フロントガラスに斜めから光が差し込んでくる時間帯。ムギはキャリーバッグの中で少し落ち着かない様子で鼻をひくひくさせていた。車のエンジン音に慣れていないわけではないのだけれど、長距離となると勝手が違うらしい。

高速に乗ってしばらくすると、ムギはようやく落ち着いてきた。丸まって目を閉じ、ときどき小さく鼻を鳴らしながらうとうとしている。そのたびに耳がぴくっと動く。何かの音に反応しているのか、夢を見ているのか、どちらかはわからない。ただそのしぐさが妙にかわいくて、助手席を何度も横目で確認してしまった。

ペットとの生活を長く続けていると、こういう小さな仕草のひとつひとつが積み重なって、記憶になっていく。子どもの頃、実家で飼っていた雑種の犬が、車に乗るたびに窓から頭を出して耳をなびかせていたことを思い出した。あの犬は風が好きだった。ムギは逆で、窓を少し開けると顔をそむけて、においだけをそっと嗅いでいる。犬にも好みがある、当たり前のことだけど、いつも少し新鮮な気持ちになる。

長距離移動でペットと一緒に車に乗るとき、注意することはいくつかある。まず水分補給。人間が気づかないうちに犬は脱水しやすい。二時間に一度はサービスエリアに立ち寄って、水を飲ませる時間をとった。ムギはそのたびに車から降りると、地面のにおいを確認するように歩き回り、それから水をぐびぐびと飲んだ。その音が妙に頼もしかった。

車内の温度管理も欠かせない。五月とはいえ、日差しが強い日は車内温度が急上昇する。エアコンの設定を人間基準にしてしまいがちだが、犬は体温調節が苦手だ。ムギが少しハアハアし始めたら、すぐに温度を下げるようにしていた。それでも一度、パーキングで少し席を外した隙に、戻ってきたらムギが窓に前足をかけてこちらを見ていて、思わず笑ってしまった。「ちょっと暑かったよ」という顔をしていた。ごめん、と声に出して謝った。

サービスエリアで買った「信州りんごラテ」という飲み物が思いのほかおいしくて、それを飲みながら走った午後の区間が、旅の中でいちばん穏やかな時間だったかもしれない。甘い香りが車内にふわっと広がって、ムギも何かを感じ取ったのか、鼻先をこちらに向けてきた。飲ませるわけにはいかないけれど、その反応がおかしくて、少しだけカップを近づけてみたら、真剣な顔でくんくんして、それからそっぽを向いた。りんごは好きじゃないらしい。

宿に着いたのは夕方の四時過ぎ。山の空気はひんやりしていて、東京の五月とは全然違う。ムギはキャリーから出た瞬間、地面のにおいを嗅ぎながら小走りで動き回り始めた。初めての土地のにおいを確認しているのだろう。その真剣な後ろ姿を見ながら、ああ、来てよかったと思った。

ペットとの長距離移動は、準備と気配りがいる。でもそれ以上に、一緒に同じ景色の中にいる時間が、何かをゆっくりと育てていく気がする。言葉は通じないけれど、同じ道を走ったという事実は残る。それが積み重なって、ペットとの生活になっていくのだと思う。

帰り道、ムギはずっと眠っていた。たまに寝言のような声を出しながら。きっといい夢を見ていたのだろう、と思いたい。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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