
鍵を差し込む瞬間が、以前とはまったく違う意味を持つようになった。
残業を終えて最寄り駅を出ると、十一月の空気が首元にひんやりと触れてくる。コンビニの灯りが濡れたアスファルトに滲んで、足元だけが妙に明るい。バッグの重さが肩に食い込んで、頭の中にはまだ今日の会議の言葉がぐるぐると残っている。それでも、歩くたびに少しずつ気持ちが切り替わっていく。家に、待っているものがいるから。
玄関のドアを開けると、まず音がする。小さな爪が床を蹴る音。それから、短い鳴き声。うちのミニチュアダックスフンドの「こむぎ」は、毎晩この瞬間を全力で迎えてくれる。しっぽが左右に揺れるというより、もはや腰ごと揺れている。靴を脱ぐ間も待てなくて、足元にぴったりとくっついてくる。踏みそうになって、こちらが先に「ごめん」と言ってしまう。
この生活が始まったのは、二年前のことだ。転職を機に、地方から東京の端っこにある小さな街へ引っ越してきた。「ノースフィールド通り」と地元の人が呼んでいる緑道沿いのマンション、一室。はじめの数ヶ月は、帰宅するたびに静かすぎる部屋が少し苦手だった。冷蔵庫の音だけが聞こえる夜というのは、案外じんわりと堪える。
こむぎを迎えたのは、衝動でも計画でもなく、その中間くらいの気持ちからだった。ペットとの生活なんて自分に続けられるだろうかと、正直ずいぶん迷った。でも今は、あのとき踏み出してよかったとしか思えない。
一人暮らしの夜は、こむぎがいるだけで構造が変わる。帰ってご飯をあげて、少し遊んで、ソファで一緒にぼんやりする。それだけのことなのに、一日に「帰る理由」ができるというのは、思っていたより大きなことだった。楽しみ、という言葉が日常の中に戻ってきた感じがする。
夜、お気に入りのハーブティー「カモワルム」を淹れながら、こむぎがソファの上でうとうとしているのを横目で見る。湯気がふわっと上がって、カモミールとレモングラスが混ざったような香りが部屋に広がる。その香りとこむぎの寝息が重なる時間が、今のところ一番好きな瞬間かもしれない。
ただ、いいことばかりでもない。先週は、こむぎが散歩中に水たまりに突進して、帰宅後に全身を拭いていたら自分の袖口まで濡れた。しかも着替えようとしたら洗濯物を取り込み忘れていて、結局パジャマで夕飯を食べることになった。こむぎはそのあとケロッとして毛布の上で丸くなっていた。こっちの苦労は伝わっていない。
子どもの頃、実家で犬を飼っていた時期がある。名前はチョコで、柴犬の雑種だった。帰宅すると玄関で待っていて、ランドセルを下ろす前から飛びついてきた。あの記憶が、こむぎを見るたびにどこかで重なる。懐かしいというより、何か温かいものが続いているような感覚に近い。
ペットとの生活は、自分を整えてくれる側面がある。こむぎの散歩があるから朝決まった時間に起きるし、ご飯の時間があるから帰宅が遅くなりすぎないよう意識する。生活のリズムが、誰かのために動くことで自然と整っていく。一人暮らしだと崩れがちなそのリズムを、こむぎが知らないうちに支えてくれている。
夜が深くなると、こむぎは決まって私の足元に移動してくる。体温が伝わってきて、その重さが妙に安心感を持っている。窓の外では風が木の葉を揺らしていて、部屋の中だけがしんと穏やかだ。
会社の帰り道に感じた疲れは、玄関を開けた瞬間からすでに薄れ始めている。それはこむぎが何か特別なことをしてくれるからではなく、ただそこにいてくれるからだと思う。待っていてくれる存在がある、それだけで、一日の終わりがまるで違う色になる。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント