
九月の終わりは、空気が変わる。夏の熱がすっと引いて、朝の光がどこかひんやりとした輪郭を持ちはじめる季節だ。窓を少し開けると、金木犀のかすかな香りが漂ってくる。そんな朝、うちのトイプードルの「むぎ」はいつも、ソファの端でぎゅっと丸まりながら、こちらをじっと見ている。起きているのか眠っているのか、ぼんやりした顔で。ペットとの生活というのは、こういう小さな一場面の積み重ねなのだと、最近つくづく思う。
むぎがうちに来たのは、子どもたちがまだ小学生のころだった。あのころ、私は仕事と育児の両立に疲れ切っていて、正直ペットを迎える余裕があるとは言えなかった。それでも「どうしても飼いたい」と言い張る娘の熱量に根負けして、半ば勢いで迎えた。そのむぎが今では家族の中心にいる。
ペットの「家族化」と呼ばれる現象は、日本では2020年代に入り急加速した
と言われているが、うちの場合はまさにそれを体感している。むぎのことを「犬」と呼ぶより、「家族の末っ子」と言った方がしっくりくる。
ペットの食事については、うちでもずいぶん変わった。以前は市販のドライフードをそのまま与えていたのだが、むぎが三歳を過ぎたあたりから、消化の具合が気になりはじめた。かかりつけの獣医師に相談したところ、腸内環境を整えることが全身の健康に関わると教えてもらった。
プロバイオティクスが注目されており、健康な腸内環境はペットの毛並みやエネルギーレベル、全体的な健康状態にもよい影響を与えるとされている。
それ以来、フードにこだわるようになった。今は「ナチュラルポウ」という国内の小さなブランドのフードを定期便で取り寄せている。添加物が少なく、むぎの食いつきも明らかによくなった。
食事の時間は、うちでは家族全員のちょっとしたイベントになっている。夕方五時になると、むぎは台所の前でそわそわしはじめる。足音を聞いただけで、しっぽが左右に揺れる。娘がフードをボウルに入れる瞬間、息子が「待て」の練習をさせようとして、むぎがどうしても我慢できずに少しだけ前足を出してしまう——あれは毎回笑える。厳密には「待て」ができていないのだが、なんとも言えない健気さで、誰も本気で叱れない。
ペットの体調管理については、以前はなんとなくで済ませていた部分もあった。でも、去年むぎが一週間ほど食欲をなくした時期があって、あの時の不安は今でも忘れられない。
ペットは本能的に体調不良を隠そうとする習性があり、「もっと早く気づいてあげればよかった」という後悔を未然に防ぐことが大切だ
と、その時に痛感した。それからは体重を月一で記録するようにして、水を飲む量や便の状態も気にかけるようになった。
定期的な健康チェックでは体重、関節、歯、そして気分の変化まで確認することが推奨されており、早期発見が大きな安心につながる。
子どものころ、実家にも犬がいた。柴犬で、名前は「ごまち」といった。ごまちは外で飼われていて、今思えばあまり丁寧なケアはしてあげられなかった。それが少し引っかかっていて、むぎには違う向き合い方をしたいという気持ちがどこかにある。過去の後悔が、今の丁寧さに変わっているのかもしれない。
秋の夕暮れ、家族四人とむぎでソファに集まる時間がある。娘がむぎの耳をそっと触り、息子がスマホで動画を見ながらむぎのお腹に足を乗せている。むぎはといえば、誰かの膝の上でうとうとしながら、ふいに小さく鼻を鳴らす。その音が、なんだか「ここにいるよ」という合図みたいで、胸の奥がじんわりする。
ペットとの生活は、決して華やかなものばかりではない。散歩の途中で急に動かなくなる日もあるし、ソファの上で粗相されることだってある。それでも、この小さな存在がいるだけで、家の空気が変わる。帰宅した時の玄関先の気配、朝一番に感じる温かい体温、夜に隣で静かに寝息を立てる音——そういうものが、日々の疲れをほんの少しだけ和らげてくれる。
家族全員でペットを育てるということは、単に「世話をする」ことではないのだと思う。ペットを通じて、子どもたちは命の重さを学んでいるし、私たち夫婦は日常の中にある小さな幸せに気づかされている。むぎがいなければ、きっとこんなふうに夕方の金木犀の香りを意識することもなかっただろう。
ペットは、暮らしに物語を与えてくれる。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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