ペットがいる朝は、少しだけ世界がやさしい——子供とふれあう毎日の記憶

Uncategorized

Uploaded Image

十月の朝は、空気がちがう。

窓から差し込む光がどこか斜めで、カーテンの端がほんのり橙色に染まる。その光の中で、うちの柴犬・むぎが伸びをした。前足をぐっと前に突き出して、後ろ足をぴんと伸ばして、あくびを一つ。まるで今日という一日を、自分のペースで受け取る準備をしているみたいだった。

娘の莉子(りこ)は5歳で、むぎのことが世界で一番好きだと言う。朝ごはんの前に必ずむぎのそばに行って、小さな手でふわふわの背中を撫でる。撫で方はまだ少し雑で、毛並みが逆立つこともあるのだけれど、むぎは嫌がらない。目を細めて、ただそこにいる。その光景を見るたびに、ペットとの生活というのは、こういう何気ない朝の積み重ねなのだと思う。

子供とペットのふれあいには、言葉では説明しにくい何かがある。

莉子がむぎと過ごすようになってから、泣き方が変わった。転んで膝を擦りむいたとき、以前は大声で泣いていたのが、今はむぎのところへ行って、その毛に顔を埋めて、小さく泣く。むぎはじっとしている。鼻をくんくんと動かして、莉子の顔のにおいを嗅いで、それからぺろりと一舐め。それで莉子は泣き止む。私はその様子を台所から見ていて、何度かもらい泣きしたことがある。

思えば、私自身も子供のころ、実家で飼っていた猫のシロと似たような時間を過ごしていた。小学二年生の冬、友達とうまくいかなくて、帰り道ずっと下を向いて歩いて、家に帰ったらシロが玄関で待っていた。あの温かさは、今でもどこかに残っている。だから莉子とむぎを見るとき、懐かしさと嬉しさが混ざった、不思議な感情が生まれる。

ペットとの生活は、子供の感性をやわらかく育てる。

これは実感だ。莉子はむぎの水を毎日換える。ごはんの時間を気にする。むぎが咳をしたときには「大丈夫?」と顔を覗き込む。そういう小さな責任感や、相手の気持ちを想像しようとする姿勢が、日々のふれあいの中でそっと育まれていく。親が教えようとして教えられるものではない。むぎが、ただそこにいることで、莉子に何かを渡している。

ある日の夕方のこと。

莉子が「むぎに絵本を読んであげる」と言い出した。架空のペット向けライフスタイルブランド「モフリエ」のカタログを絵本代わりに持ってきて(犬の写真がたくさん載っているから選んだらしい)、むぎの前に座ってページをめくり始めた。むぎは最初こそ聞いていたが、三ページ目あたりでうとうとし始め、四ページ目には完全に眠ってしまった。莉子は少し拗ねた顔をしたが、すぐに「疲れてたんだね」と言って、そっとむぎの背中に毛布をかけた。——心の中で、思わず「聴衆、一名ダウン」とつぶやいてしまった。

むぎの寝息が聞こえる。

畳の上に差し込む夕日が、むぎの茶色い毛をあたたかく照らしていた。莉子はその隣に寝転んで、むぎの鼻の動きをじっと見ていた。二人(一人と一匹)の間に流れる時間は、どこまでもゆっくりで、静かで、満ちていた。

子供とペットが一緒にいる家は、空気がちがう。うまく言えないけれど、やわらかい。怒鳴り声が少ない。笑い声が多い。床に毛が落ちていても、なんとなく許せる気持ちになる。ペットとの生活は、家族全体の体温を少しだけ上げてくれるものだと、私は思っている。

むぎが目を覚ました。

莉子を見て、尻尾を振る。莉子が笑う。また今日も、この家の朝が始まる。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント

タイトルとURLをコピーしました