
朝の六時半、まだ空が薄紫色をしている時間に、わたしたちは出発した。助手席には、三歳になったばかりのビーグル犬・ムギ。後部座席にはクレートと、使い慣れた毛布、そしてパーキングエリアで使うための折りたたみ式の水飲みボウル。旅の準備は前日の夜から丁寧にやったつもりだったのに、出発直前になって旅のお供に持ってきたはずのムギのお気に入りのぬいぐるみを玄関に忘れたことに気づいた。取りに戻ろうか一瞬迷って、でも結局そのまま走り出した。まあ、ムギは気にしないだろう、と自分に言い聞かせながら。(ちなみに、ムギは気にしていた。最初の一時間、クレートの中でじっと恨めしそうな目を向けてきた。)
ペットとの生活を選んでから、わたしの旅のスタイルはずいぶん変わった。以前は新幹線でさっと移動することが多かったけれど、今は車が基本になった。理由はシンプルで、ムギが一緒に乗れるから。そしてそれは、思っていた以上に豊かな時間だった。
高速道路に入ってしばらくすると、ムギが少し落ち着いてきた。窓の外を流れる景色を、クレートの格子越しにじっと見つめている。その横顔が、なんとなく子どもの頃に家族で出かけたドライブを思い出させた。父が運転する車の後部座席で、窓に額をくっつけて田んぼを眺めていたあの感覚。風景が流れていく速度と、自分の気持ちがどこかゆっくりになっていく感覚。犬と旅をしていると、ときどきそういう記憶が不意に浮かんでくる。
長距離移動で注意することは、出発前にいくつか調べておいた。
長距離ドライブでは約2時間ごとを目安として休憩を入れるとよく、「何時間乗れるか」ではなく「愛犬が無理をしていないかを確認しながら移動する」ことが大切だ
、という言葉が頭に残っていた。だから今回は、最初から二時間ごとにサービスエリアへ寄ることを決めていた。
最初の休憩は、東名の「ドッグラン併設」と書かれたサービスエリア。ムギをクレートから出して、リードをつけてからドアを開ける。
万が一の飛び出しを防ぐため、リードをつけたまま車内のクレートへ誘導し、扉を閉めて落ち着いてからリードを外すのが安全
だと知ってからは、この順番を必ず守るようにしている。外に出た瞬間、ムギの鼻がぴくぴくと動いた。秋の空気の中に、枯れ草と、どこかの売店から漂ってくる肉まんの湯気が混ざっていた。ムギはそれを全部嗅ぎ分けようとするかのように、鼻を地面に近づけてゆっくり歩いた。
車内でも快適に過ごせるよう、キャリーバッグやクレート、飲み物、トイレ用品、おもちゃや毛布など忘れ物のないよう準備しておくことが大切で、持ち物はできるだけ使い慣れたものを揃えておくことが重要だ
。ぬいぐるみを忘れたことをまた少し後悔しながら、水を飲ませ、草の上を少し歩かせた。
午後になると、山間部に入った。空気がひんやりしてきて、車の窓を少し開けると、針葉樹の香りが流れ込んできた。ムギが鼻を窓の隙間に近づけようとするので、慌てて少しだけ閉める。
窓を開けるスペースは犬の体が出ない程度にするのが基本
だ。それでも、ムギは満足そうに目を細めていた。
今回の目的地は、長野県の山奥にある小さな宿「ヴィラ・コナラ」。犬連れ専用の離れがあって、部屋の前に小さな庭がついている。予約したのは三ヶ月前で、そのときはまだ夏だったのに、着いた今日はすでに木々が赤く染まり始めていた。チェックインの受付をしてくれたスタッフの方が、ムギに向かってしゃがみ込んで「おつかれさまでしたね」と声をかけてくれた。ムギはその人の手をそっと鼻で押した。
ペットを連れて休暇を過ごすスタイルは、2026年の旅行トレンドの最先端
になっているという。確かに、ここ数年でペットと旅できる場所の選択肢は増えた。
ペット同伴可能なプランの予約泊数が前年同期比1.2倍以上に増加し、ペット専用設備や食事メニューの充実など、付加価値の高いサービスを提供する施設への需要が高まっている
という事実が、それを裏付けている。
ペットとの生活は、旅の意味を少し変えてくれる。目的地に急いで着くことより、途中の空気の匂いや、休憩先の草の感触のほうが、記憶に残るようになった。ムギが窓の外を見つめるたびに、わたしも同じ景色をもう一度見直す。それだけのことなのに、旅がずっと丁寧になった気がする。
宿の庭で、ムギが秋の落ち葉を踏んでいる。かさかさという音が、夕暮れの静けさの中に広がっていく。今日走ってきた道のりを思い返しながら、わたしはそれをただ眺めていた。次はどこへ行こうか、とぼんやり考えながら。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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