
十月の終わり、窓から差し込む夕陽がリビングの床をオレンジに染める時間帯のことだった。
我が家のトイプードル、ムギが、ソファの端でうとうとしている。耳の先だけぴくぴくと動かしながら、夢の中でも何かを追いかけているらしい。その小さな寝顔を見ていると、ペットとの生活というのは、こんなにも静かで豊かなものだったのかと、改めて思う。
ムギがうちにやってきたのは、息子がまだ小学三年生だったころ。近所のペットショップ「コトリアン」のショーウィンドウ越しに、ムギと目が合ったのがすべての始まりだった。妻は「世話できるの?」と眉を上げ、娘は「絶対飼いたい!」と叫び、息子は無言でガラスに手を当てていた。そのとき私は何も言えなかったのだが、気がついたら書類にサインをしていた。今思えば、あれは家族全員が同じ方向を向いた、最初の瞬間だったかもしれない。
ムギが来てから、家の空気が変わった。朝、リビングに降りると、ムギが尻尾を振りながら迎えてくれる。その音が、コツコツと床を叩く軽やかなリズムで、どんなに眠くても自然と顔がほぐれる。妻がキッチンで珈琲を淹れる香りと、ムギの毛並みに触れるやわらかな感触と、窓の外から聞こえる風の音が、朝の時間を少しだけ特別なものにしてくれる。
もちろん、いいことばかりではない。先月、娘がムギの散歩から帰ったとき、玄関に泥だらけの足跡がついていた。ムギの足跡と、娘の靴跡が、見事に一直線に並んでいて——ふたりして「やばい」と顔を見合わせていたのを、廊下の奥から目撃していた。私は黙って雑巾を差し出した。あの瞬間の娘の表情は、一生忘れないと思う。
家族というのは、ペットを通じてまた少し仲良しになるものだ。息子は中学生になってから口数が減ったが、ムギの前では子どもの顔に戻る。ローリングしながらお腹を見せるムギを前に、「なんでこんなにかわいいんだろ」とぼそりとつぶやいていた。その横顔が、小学生のころと変わっていなくて、少し胸が熱くなった。
ペットとの生活は、日常のテンポを変える。急いでいる朝でも、ムギがじっと見上げてくると、五秒だけ立ち止まって頭を撫でてしまう。その五秒が、一日の中でいちばん「今ここにいる」と感じられる時間だったりする。秋の光の中で、家族四人とムギが同じ空間にいる。それだけで、十分すぎるほど満たされている。
仲良しというのは、特別なことをしなくても育まれていくのかもしれない。ムギがソファで寝ている隣に、誰かが自然と座る。それだけでいい。今夜も、リビングにはムギの寝息と、家族の笑い声が混ざり合っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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