
四月の朝は、やわらかい。リビングのカーテン越しに差し込む光が、フローリングの上に細長い影を落としていた。その影の端に、うちの犬のムギが丸くなって眠っている。トイプードル、三歳。ふわふわした耳が、息をするたびに微かに揺れていた。
娘の凛(りん)は、そのムギの横にそっと座り込んで、まだ眠そうな目でじっと見つめていた。五歳になったばかりの彼女は、ムギが来てからというもの、朝起きると必ずこうして「確認」しに行く。ちゃんといるか、ちゃんと生きているか。子供なりの、真剣な愛情表現だと思う。
ペットとの生活を始めたのは、凛が三歳のころだった。正直なところ、迷いはあった。世話の手間、衛生面、アレルギーの心配。でも今振り返ると、あの決断は家族にとって本当に大きな意味を持っていたと思う。
ムギが来た最初の週、凛はおっかなびっくりで触ろうとしなかった。近づいてはすぐ後退し、また近づいて、また逃げる。そのくせ目だけはずっとムギを追いかけていた。ところがある夕方、ムギが凛の膝の上にひとりでに乗ってきた瞬間、凛はぽかんと口を開けて固まった。それから三秒後、じわじわと笑顔になっていった。あの表情は今でも忘れられない。
ふれあいというのは、言葉より先に何かを伝えるのだと、そのとき思った。
ペットを飼うことで子どもの情操教育に繋がったという声として「思いやりの心が育った」という回答が多い。
実際、凛の変化は少しずつ、でも確実に見えてきた。以前は自分のおやつを誰かに分けることを嫌がっていたのに、ムギにはごく自然に差し出すようになった。「ムギも食べたいんだもん」と言いながら。それが人間の友達にも広がっていくのを、親として静かに見守っていた。
子どもが成長する時期に家庭にペットがいると、子どもは優しく、強く、健やかに育つことはすでによく知られており、情操教育に良いことが科学的に検証されている。
それはデータや研究が示すことだけれど、毎日の暮らしの中で感じるそれは、もっと地味で、もっと温かいものだ。
ある雨の午後のこと。凛が幼稚園で友達とうまくいかなかったらしく、帰宅してからずっと無言でいた。夕飯もあまり食べなかった。そのとき、ムギが凛の足元にぴたりと寄り添って、ちいさく鼻を鳴らした。凛はしばらくムギの背中を撫でながら、ぽつりぽつりと話し始めた。ムギに向かって、でも聞こえるように。ムギは動かず、ただそこにいた。
言葉を持たない存在が、言葉以上のことをしてくれる瞬間がある。
子どもにとってペットは「兄弟・姉妹」という回答が41.3%で1位、「友達」という回答が27.8%で2位という調査結果がある。
凛にとってのムギもまさにそうだ。兄弟でも友達でもある、少し特別な存在。
子供の成長というのは、目に見えるものばかりじゃない。背が伸びる、字が書けるようになる、そういうことだけじゃなくて、誰かを気にかける感覚が育つこと、自分以外の生き物の気持ちを想像しようとすること、そういう内側の変化こそが、本当の成長なのかもしれない。
ペットとの生活は、その変化を静かに後押ししてくれる。
ムギの毛並みは、触れると驚くほど柔らかい。凛がよく言う「綿みたい」という表現が、案外正確だと思う。春の朝の日差しの中で、その白い毛が少し光って見えた。隣で凛が「ムギ、おはよう」とつぶやいた。ムギはまだ眠そうに目を細めて、しっぽだけをゆっくり動かした。
ちなみに先日、ペット用品の「ノルディックパウズ」というブランドのおもちゃを買ってあげたのだが、ムギはそれよりも凛の靴下を咥えて走り回る方が好きらしい。凛が「もう!」と言いながら追いかけ、ムギがはしゃいで逃げる。そんな光景が、今日もリビングで繰り広げられている。
ペットとの生活は、にぎやかで、少し散らかっていて、でも確かに豊かだ。子供の成長を見守りながら、ペットもまた、家族の一部として日々を刻んでいく。その時間が、いつか凛の記憶の中で、やさしい色をしているといいと思っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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