
五月の夕方は、空の色が少しだけ長く残る。仕事を終えてアパートの階段を上がるとき、ふと気づくのは、自分の足音がいつもより軽いことだ。玄関のドアノブに手をかける瞬間、胸のどこかがほんの少し弾む。鍵を差し込む音だけで、もう向こう側では何かが動いている。そんな確信がある。
ドアを開けると、三毛猫のムギが廊下の真ん中でこちらを見上げていた。
「玄関に鍵を差し込んだ音で立ち上がり、玄関が開く音で走ってくる」
という話を読んだことがあるけれど、ムギの場合は少し違う。走ってはこない。ただ、じっとこちらを見て、それからゆっくり一歩だけ近づいてくる。その一歩が、なんとも言えない。
一人暮らしを始めて三年が経つ。最初の一年は、帰宅しても誰もいない部屋がどこか広すぎて、テレビをつけっぱなしにしていた。二年目の春、仕事帰りに立ち寄ったペットショップで、ガラスケースの中で丸くなっていたムギと目が合った。正確には目が合ったのかどうかわからないが、そう感じた。それだけで決めてしまったのだから、我ながら単純だと思う。
ペットとの生活が始まってから、帰り道の感覚が変わった。以前は会社を出るとき、ただ疲れていた。今は、疲れていても「帰ろう」という気持ちの質が違う。向かう場所に、待っている存在がいる。それだけのことが、思いのほか大きい。
夜、ソファに座ると、ムギが膝の上に乗ってくる。温かい重さが太ももにかかり、喉のあたりからごろごろと低い音が聞こえてくる。その音は規則的ではなくて、途切れたり強くなったりする。部屋の照明をやや落として、アロマディフューザーから「フォレストノート」という銘柄のヒノキの香りをほんのり漂わせると、ムギはいよいよ目を細めて動かなくなる。こちらも動けなくなる。
子どものころ、実家で犬を飼っていた。夕飯の後、縁側で一緒に座っていた記憶がある。犬は特に何もしないのに、そこにいるだけでよかった。あの感覚に似ている、と最近よく思う。言葉のいらない時間というのが、大人になるほど貴重になる。
ペットと触れ合うことは癒しの効果が非常に高く、医療機関でも病気の改善に取り入れられているほど
だという。それを読んだとき、「そうか、これは医療レベルの話なのか」と少し笑ってしまった。ムギに伝えたら、たぶん興味なさそうな顔をするだろう。
一人暮らしの楽しみというのは、案外こういう細部に宿っている。誰かのために夕食を作ることはないけれど、ムギのごはんを用意する時間がある。缶を開ける音がすると、台所まで小走りでやってくる。あの足音が、今では帰宅後の一番好きな音かもしれない。
もちろん、ペットとの生活には責任もある。
一人暮らしでペットを家族に迎える場合、飼育に関するすべての判断と責任を自分一人で担うことになる
。体調が悪い日も、残業で遅くなった夜も、世話をするのは自分だけだ。それが重荷に感じる日もゼロではない。でも不思議なことに、ムギの顔を見ると、たいていのことはどうでもよくなる。
先日、うっかりムギのおやつをソファの下に落としてしまい、取ろうとして頭をぶつけた。ムギはそれをじっと見ていた。「大丈夫?」と聞いてくれるわけもなく、ただ落ちたおやつの行方を目で追っていた。完全に人の心配より食欲が勝っていた。なんというか、清々しいほどの正直さだった。
愛犬が飼い主さんの帰宅を喜んでお出迎えしてくれる瞬間は、何度経験しても心が温まる
という言葉があるけれど、猫も犬も、その出迎えの形はそれぞれ違う。ムギの場合は静かで、控えめで、でも確かにそこにある。それがいい。
五月の夜風が窓の隙間から入ってくる。少しだけ湿った、草のにおいがする。ムギは膝の上で目を閉じていて、部屋はしんとしている。一人暮らしの夜は静かだけれど、この静けさはもう、以前とは違う種類の静けさだ。誰かがいる静けさ、というのが確かにある。そしてそれが今、自分にとっての一番の楽しみになっている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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