
九月の半ば、まだ夏の名残が漂う夕方のことだった。西日が斜めに差し込んで、リビングの床に細長い光の帯をつくっていた。その光の中に、うちの猫のムギがぺたりと腹ばいになって、目を細めていた。ほんの少しだけ尻尾が揺れていた。それだけで、なんとなく今日という日がよかったような気がしてくる。
ペットはもはや「飼うもの」ではなく、家族の一員として描かれる時代になっている。
それは統計や市場の話だけではなく、毎日の暮らしの中でじわじわと実感することだ。朝、娘がランドセルを背負って玄関に向かうとき、必ずムギのそばにしゃがんで「いってくるね」と耳元でささやいていく。ムギは返事もせず目をつむったままだが、娘はそれで満足そうに出ていく。ペットとの生活とは、そういう小さな儀式の積み重ねだと思う。
うちがムギを迎えたのは三年前の春で、その頃はまだ子どもたちも小さく、夫も仕事が忙しくて家族がひとつのテーブルに揃うことすら少なかった。でも、ムギが来てから不思議と変わった。夕飯のあと、ムギがソファの上でうとうとしはじめると、なんとなく全員がそこに集まってくる。息子はムギの耳の後ろを指でくるくるとかき、夫はスマートフォンを置いてその様子をぼんやり眺め、娘はムギのお腹に顔を埋めて「ふわふわ〜」と言う。家族が仲良しでいられるのは、ムギという存在が中心にいるからかもしれない。
最近では大型長毛種の猫が人気で、サイベリアンやラガマフィンのような種類がトレンドになっているという。
ムギはどちらでもなく、ごく普通の雑種だ。でも、その普通さがちょうどいい。特別な血統でも、SNSで映えるルックスでもなくて、ただそこにいるだけで家の空気をやわらかくしてくれる。
ペットとの生活の中で、五感が研ぎ澄まされる瞬間がある。ムギが膝の上に乗ってきたときの重さ、体温、それからかすかに香るペットフードの匂い。ゴロゴロという低い振動が膝から太ももへと伝わってくる。あの感触は、何かに似ていると思って考えたら、子どもの頃に祖母の家で飼っていた柴犬のコタローが足元で丸くなっていたときの記憶だった。あの頃も、犬がいるだけで縁側がずっと明るかった。ペットがいる場所には、なんとなく光が集まる気がする。
ペットのメンタルヘルスや心理ケアへの関心も高まっており、ストレスを軽減するためのグッズやサービスも増えている。
うちでも去年から「モフィール」というブランドのハーブ入りクッションを使っていて、ムギがそこに乗ると明らかにリラックスしているように見える。正直、効果があるのかどうかはわからない。でも、選んで、置いて、見守るという行為そのものが、飼い主にとっての安心になっている。
ある日曜の朝、夫がコーヒーを淹れていたら、ムギがキッチンの床にちょこんと座って夫をじっと見上げていた。夫は「なんだよ」と言いながらも、なぜか猫用のおやつを一粒床に置いてやっていた。その背中を見ながら、この人もすっかりムギに飼われているなと思った。——心の中だけで、そっとツッコんでおいた。
ペットとの暮らしはテクノロジーの力でも進化を遂げており、面倒な掃除やエサやりを自動化することで、大切な家族と過ごす時間を確保できる時代になってきた。
それはそれで便利だと思うけれど、うちではまだアナログな日々が続いている。ムギのトイレ掃除は息子の担当で、エサやりは娘、ブラッシングは夫、病院への連れていきは私。誰かが忘れると誰かが声をかける。そのやりとりが、家族の会話をつくっている。
ペットとの生活は、特別なことは何もない。派手なイベントも、感動的なエピソードも、毎日あるわけじゃない。ただ、夕方になるとムギが玄関の前で待っていて、帰宅した家族を一人ずつ確認するように見ている。それだけで、家に帰ってくる理由がひとつ増える。家族が仲良しでいられる理由も、きっとそこにある。
今日もムギは西日の中で眠っている。尻尾がまた、少しだけ揺れた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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