
九月の終わり、朝六時ちょうどに家を出た。まだ空気が薄青く、道路に人影はほとんどない。助手席のクレートの中で、うちのトイプードルのムギが小さく鼻を鳴らしていた。今日は片道約四時間半、目的地は長野県の山あいにある小さな宿だ。ペットとの生活を始めて三年が経ち、初めての本格的な長距離移動に、胸の奥がじんわりと緊張していた。
出発前の準備は、前日の夜から始めていた。クレートの底には、ムギがいつも使っているブランケット——たしか「ノルドフェルト」というスカンジナビア系のペットブランドのもの——を敷き込んだ。見慣れた匂いが、車内という非日常の空間を少しでも安心できる場所に変えてくれるらしい。
車のシートなど普段寝ていない場所は落ち着けずストレスにもなるため、おうちで使っているクッションマットなどを置いてあげると良い
と知ってから、このひと手間が旅の前の儀式になった。
高速道路に乗ってしばらくすると、ムギはようやく丸まって目を閉じた。エンジンの低い振動と、タイヤが路面を刻む音。窓の外では、稲刈りの終わった田んぼが白く光りながら後ろへ流れていく。助手席から手を伸ばしてクレートの網越しに指を差し入れると、温かくて湿った鼻先が触れた。ああ、ちゃんと眠れている。そのやわらかな感触だけで、なんだか肩の力が抜けた。
愛犬と車で旅行する場合、一時間半から二時間に一度は休憩をとるのがおすすめだ。犬は長時間の車移動に負担を感じるため、休憩なしで二時間以上走るのは避けたほうがいい。
この情報を頭に入れていたので、最初のサービスエリアには二時間を待たずに立ち寄った。ムギをリードにつなぎ、ドッグランスペースへ。朝の空気はまだひんやりしていて、草の匂いがした。ムギは地面に鼻をこすりつけながら、何かを一心不乱に嗅いでいた。おそらく前の犬の痕跡だろう。五分ほどそうしていて、ようやくトイレを済ませた。
車に乗せる前には必ずトイレを済ませておくこと。特に外でしか排泄することができないワンちゃんにとって、長距離移動はかなりの負担になる。
出発前にも一度済ませていたが、やはり途中の休憩でもきちんと時間を取ることが大切だと実感した。ちなみにこのとき、私はコーヒーをカップに注ぎながら、ムギに向かって「お互い様だね」と声をかけた。ムギは特に反応せず、草の匂いの続きを追っていた。
犬の適温の目安としては二十一度から二十五度がおすすめ。クレートやキャリーの中は熱がこもりやすいので、愛犬の様子をこまめに確認し、車内の温度や空気の流れを調節するようにしよう。
九月末とはいえ、日中の車内は思いのほか温度が上がる。
秋以降は熱中症への警戒心も緩みがちだが、油断は禁物。ワンちゃんにとって、車内の温度は夏と同様、すぐに危険なレベルに達してしまうことがある。
エアコンの設定を二十三度に固定し、後部座席側の吹き出し口も開けておいた。
移動中に愛犬はクレートに入れた方が良いという認識は徐々に広まりつつあるが、まだまだこの方法でクルマに乗せているかたは少ないのが現状だ。
以前の私もそうだった。ムギを膝の上に乗せてドライブするのが「かわいい」と思っていた時期がある。でも、それは安全面で大きなリスクがあると知ってからは、クレートを使うようにした。慣れるまでに少し時間はかかったけれど、今ではムギ自身がクレートに入ると落ち着く様子を見せてくれる。
愛犬を家族の一員と捉える価値観の広がりが、ペットツーリズムの市場を大きく動かしている。SNSで「#犬と旅行」といった投稿が年々増加しており、愛犬との思い出を共有したいという動機が、具体的な旅行行動に強く結びついている。
ペットとの生活がここまで豊かになった時代に、ムギと旅ができることを素直にありがたいと思う。
二度目の休憩を終えて車に戻ると、ムギはクレートの中でうとうとしながら、私が扉を閉める音に反応して片目だけ開けた。そのまままた閉じた。その小さな仕草が、なんとも愛おしかった。長距離移動の疲れも、その一瞬でどこかへ消えてしまう。
適切に休憩を取りながら移動できるのであれば、五時間以上の長距離移動が可能な犬も少なくない。
注意することを丁寧に積み重ねれば、遠い場所へも一緒に行ける。それがわかってから、旅の計画を立てるときの視野がずいぶん広がった。
宿に着いたのは、昼過ぎの柔らかい光の中だった。山の空気は冷たく、針葉樹の香りがした。ムギはリードを持つ私の足元を小走りについてきながら、新しい匂いの世界に鼻をひくひくさせていた。ペットとの生活は、こんなふうに景色を増やしてくれる。それだけで、また来年も旅に出ようと思えた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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