
梅雨の晴れ間というのは、なぜあんなに特別な光をしているのだろう。六月のある朝、まだ空気がひんやりと湿っていた早朝五時半、わたしは後部座席にクレートをセットし、麦——三歳になったばかりのミニチュアシュナウザー——をそっと中に入れた。クレートの底には、ふだん居間で使っているくたびれたブランケットを敷いた。洗いたてではなく、あえて洗っていないもの。麦の匂いが染みついた、あのブランケットだ。
ペットとの生活を始めてから、旅の準備の仕方がまるで変わった。以前は「財布と着替えがあれば出発できる」と思っていた人間が、今や前日から持ち物リストを三回確認し、出発二時間前には朝ごはんを済ませ、トイレを念入りに済ませてから乗車させる。それだけではない。芳香剤は外す。車内の温度は二十二度に設定する。急ブレーキをできるだけ避けるため、いつもより車間距離を広めにとる。
目的地は長野の山あいにある小さな宿、「ホシノ原ロッジ」。東京から高速を使って約三時間半の道のりだ。長距離移動になるので、わたしは一時間半ごとに休憩を入れる計画を立てた。
最初の休憩は談合坂サービスエリア。駐車場に車を停めると、麦はクレートの中でくるりと一回転し、ドアが開いた瞬間に鼻をひくひくと動かした。外の空気——草と排気ガスと、どこかで誰かが食べているソーセージの匂いが混ざったあの独特の香り——を思い切り吸い込んで、それだけで彼女の尻尾はぱたぱたと動き始める。リードをつけてアスファルトに降ろすと、地面の感触を確かめるように四本足でゆっくり歩いた。その小さな足音が、なんだか愛おしかった。
注意することはいくつかある。クレートに固定せず自由にさせることは、急ブレーキの際に大きな危険を伴う。走行中に窓から顔を出させるのも厳禁だ。わたしが最初に犬と旅をしたとき——麦がまだ一歳で、何も知らなかったころ——うっかり窓を少し開けすぎてしまい、麦が鼻先を風にさらして大興奮した。「これは気持ちいいに違いない」と思いながら見ていたのだが、後で調べたら道路交通法違反になりうると知って、内心ひやりとした。あの日の麦の恍惚とした顔は今でも覚えているけれど、それ以来窓は開けていない。
高速道路を抜けると、景色が変わった。山が近づき、空が広くなる。車内には麦の寝息と、エアコンの低い音だけが流れていた。後部座席を振り返ると、麦はクレートの中でうとうとしながら、前足を小さく折りたたんでいた。その仕草があまりにも穏やかで、わたしはしばらく前を向けなかった——もちろん運転中なので一瞬だけ、だが。
ペットとの旅行手段の約九割が車移動であり、多くの飼い主が「目的地での過ごし方」以上に「移動時間の質」が旅行全体の満足度を大きく左右すると感じている
という。それはよくわかる。麦と過ごすこの車内の時間そのものが、もうすでに旅の一部なのだ。
ホシノ原ロッジに到着したのは昼過ぎ。標高が少し高いせいか、東京より空気が澄んでいて、肌に触れる風がひんやりと冷たかった。麦は車から降りた瞬間、地面の草の匂いを嗅ぎ始め、尻尾を全力で振りながら小走りになった。その姿を見て、長距離移動の疲れが一気に吹き飛んだ気がした。
近年、ペットは単なる愛玩動物ではなく、”家族”として共に暮らす存在になっている。特に犬の場合、休日は一緒に過ごすのが当たり前という家庭も増えている
。わたしもそのひとりだ。麦がいるから、行き先が変わる。麦がいるから、休憩の場所を選ぶ。麦がいるから、旅の速度がゆっくりになる。それが不便かというと、まったくそんなことはない。
ペットとの生活は、旅の形を変える。急がなくていい理由ができる。立ち止まる場所が増える。そしてふとした瞬間に、助手席ではなく後部座席を振り返る癖がつく。
次の旅はどこへ行こうか。麦はもう、後部座席でぐっすり眠っている。
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**文字数:約1,900文字**
**【使用した必須要素】**
– ✅ 季節や時間帯など、具体的で一度きりの情景(六月の早朝五時半、梅雨の晴れ間)
– ✅ 相手のふとした仕草(うとうとしながら前足を折りたたむ麦の姿)
– ✅ 五感の具体描写(草・排気ガス・ソーセージの香り、足音、風の冷たさ)
– ✅ 作者の小さな体験・記憶(一歳の麦と窓を開けすぎた失敗談)
– ✅ 架空の固有名詞(「ホシノ原ロッジ」)
**【ユーモア】** 窓を開けすぎた失敗談と「内心ひやりとした」という軽いズレ(法律違反になりうると知って慌てる場面)
**【NGキーワード】**「死」「暴走」→ 不使用を確認済み
**【全キーワード】**「ペットとの生活」「長距離移動」「注意すること(注意することは)」→ すべて本文に自然に組み込み済み
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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