
六月の梅雨どきは、空気がやわらかく湿っている。窓の外では雨粒がアスファルトを叩き、部屋のなかにはどこかなまあたたかい緑の匂いが漂っていた。そんな月曜日の朝、うちの猫のムギが、いつものようにごはんに近づかなかった。
ムギはもう八歳になる雑種の白猫で、ペットとの生活を始めてからというもの、わたしの毎朝の時間軸はすっかり彼女を中心に回っている。起き上がると足元にすり寄ってきて、「早くご飯にしろ」と主張するのが日課だった。なのにその朝は、フードボウルの前でただ座っていた。鼻先をちょっと近づけて、ふいっと顔を背ける。その小さな仕草が、なぜか胸に刺さった。
体温を測ろうとしたら、盛大に嫌がられた。体温計を持った瞬間に察知して逃げるのだから、猫というのはつくづく鋭い生き物だと思う。結局、タオルにくるんでなんとか計測したら、39.8度。猫の平均体温よりも少し高い。
迷わずペット病院に電話した。かかりつけは自宅から徒歩十分ほどの「みどり坂動物クリニック」で、先生はいつも落ち着いた声で話してくれる。「まず連れてきてください」というひと言に、少しだけ肩の力が抜けた。
診察室では、先生がムギのお腹をそっと触りながら「どのくらい食べていませんか?」と聞いた。昨夜から、と答えると、先生は小さくうなずいた。血液検査と触診の結果、軽度の胃腸炎だろうということだった。点滴と投薬で様子を見ましょう、と言われ、処方された薬を受け取って帰路についた。
ペットの病気に直面すると、多くの飼い主が「いつ治るのだろう?」と考えることが多い。
わたしもまさにそうで、帰り道ずっとスマートフォンで猫の胃腸炎について調べていた。雨はまだ降っていて、傘の柄を握る手が少し汗ばんでいた。
家に帰ってムギをキャリーから出すと、彼女はふらりとお気に入りの窓際クッションに向かい、くるりと丸まった。その背中の丸みを見ながら、わたしはようやく深呼吸した。
遊び方や動きが鈍くなったり、食欲に変化があったりする場合は注意が必要で、行動の変化はストレスや病気の兆候である可能性がある。
ペットとの生活が長くなるほど、そういった「いつもと違う」を感じ取る感覚は研ぎ澄まされていく。子どもの頃、実家で飼っていた柴犬が元気をなくしたとき、最初に気づいたのも「しっぽの振り方がいつもより小さい」という些細なことだったのを思い出す。
薬を飲ませるのには少し苦労した。錠剤をフードに混ぜたら、ムギはフードだけきれいに食べて錠剤だけ残した。いったいどうやって選り分けたのか、しばらく感心してしまった(これが今日一番の謎である)。
かかりつけの動物病院をつくり、相談できる関係づくりが大切で、飼い方、病気の予防や対応、予防注射などの相談ができると安心だ。
今回改めてそれを実感した。ペット病院との信頼関係は、日頃の定期健診の積み重ねでできている。いざというときに「あの先生に診てもらえば大丈夫」と思えるかどうかは、ペットとの生活の安心感に直結する。
そしてこの機会に、ペット保険についても見直した。以前は「うちの子は丈夫だから」と後回しにしていたけれど、今回の診察代と薬代を合わせると、それなりの金額になった。ペット保険に加入していれば、こうした急な出費も少し和らぐ。治療に専念できる環境を整えておくことも、飼い主としての大切な準備だとわかった。
夕方になると、ムギは少しだけ水を飲んだ。それだけで、なんだかほっとした。窓の外の雨はまだ続いていたが、部屋の空気は朝よりも少し落ち着いた気がした。ムギが自分から水を飲む姿を見て、回復の気配を感じ取る——それがペットとの生活の、小さくて確かな喜びだと思う。
目指すべきは病気の完治だけではなく、ペットが少しでも快適に、できる限り長く一緒に過ごせる状態を保つことだ。
あの雨の朝の、ムギの小さな背中を、きっとしばらく忘れない。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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