ペットがいる暮らしは、子供の心をそっと育てる

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十月の朝は、空気がちがう。

窓を開けた瞬間、ひんやりとした風が頬をかすめて、どこかから金木犀の甘い香りが流れてくる。台所ではお湯が沸く音がして、リビングではもう、小さな争奪戦がはじまっていた。娘の莉子(りこ)、四歳。そして我が家のビーグル犬、ムギ。ムギが莉子の靴下をくわえて逃げ、莉子が「かえして〜!」と叫びながら追いかける。靴下は片方だけ、ぐっしょり濡れていた。ペットとの生活とは、つまりそういうものだ。

ムギがうちに来たのは、莉子が二歳になる少し前のことだった。正直なところ、あのころの私は迷っていた。子供とペットが同じ屋根の下で暮らすことへの不安が、ゼロではなかったから。でも今となっては、あの迷いがずいぶん遠く感じられる。

莉子とムギのふれあいは、最初はぎこちなかった。莉子はムギの耳をぐいっと引っ張り、ムギはびっくりして私の足元に逃げ込んだ。そこから少しずつ、ふたりの距離は縮まっていった。莉子がムギの頭をなでるとき、最初は力加減がわからなくて、ムギがちょっと顔をしかめていた。でも何週間かたつうちに、莉子の手つきは不思議なほど柔らかくなっていった。誰かに教えたわけでもない。ムギの表情を読もうとするうちに、自然と身についたのだと思う。

ペットが何をしたいのか、何を言おうとしているのかを表情や行動から想像する経験は、子どもが相手を思いやる気持ちを身につける良い機会でもある。
この言葉を読んだとき、莉子とムギのことが頭に浮かんだ。そうか、あの子はあのころ、ちゃんと学んでいたんだ。

調査によれば、ペットが子どもに与えた影響として「感受性が豊かになった」が約半数の45.0%で1位となり、「命の大切さを理解できるようになった」(42.2%)が続いた。
数字で見ると少し冷たく感じるかもしれないけれど、莉子を見ていると、その数字がとても腑に落ちる。

秋の夕方、公園から帰ってきたふたりは、玄関でぐったりしている。莉子はムギの背中に顔を埋め、そのまましばらく動かない。ムギの毛はやわらかくて、少しだけ土のにおいがする。莉子の目がとろんとしてくる。うとうとしかけた莉子の手が、ムギの耳をそっと握ったまま離さない。その光景を台所から眺めながら、私はコーヒーを一口飲んだ。架空のインテリアブランド「ノルテリア」の木製マグカップ、去年の誕生日に夫が買ってくれたやつだ。なぜかそのとき、子どものころに実家で飼っていたシロという猫のことを思い出した。放課後、ランドセルを背負ったまま玄関に座り込んで、シロの背中をなでていた。あのやわらかさは、三十年たった今でも指先に残っている気がする。

成長過程では孤独を感じる機会が増えるものだが、ペットは何も言わずに寄り添ってくれる。成長している子供にとって、あたたかい存在になってくれるだろう。
莉子が大きくなって、うまくいかないことにぶつかる日がきても、ムギがそばにいてくれるなら、少しは大丈夫だと思える。

ペットとの生活は、子どものストレスを緩和し、生活の幸福度を高めることがわかっている。
難しい言葉で説明するより、莉子の笑顔を見ていればそれだけで十分だと感じる。

ペットとの生活は、完璧にきれいなものではない。靴下はよく濡れるし、ソファの隅には抜け毛が積もる。散歩をさぼった翌朝のムギの恨みがましい視線は、なかなかの威力だ(これが地味にいちばんこたえる)。それでも、莉子がムギと並んで縁側に座り、秋の光の中でふたりとも目を細めているのを見ると、ペットを迎えてよかったと、素直にそう思う。

子供とペットのふれあいは、教科書には載っていない何かを、たしかに育てていく。それは感受性かもしれないし、やさしさかもしれない。あるいは、言葉にならないまま体の中に積み重なっていく、ぬくもりの記憶かもしれない。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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