
朝、まだ薄暗いうちから、リビングに小さな足音が響く。うちの柴犬・むぎが、ソファの端でくるりと一回転して、また丸くなる。そのたった数秒の動作に、なぜか目が覚めてしまうのだ。10月の朝はひんやりしていて、窓の外には金木犀の香りがうっすら漂っている。季節が変わったことを、むぎはきっとずっと前から知っていたのだろう。
ペットとの生活をはじめて、もう三年が経った。
最初は夫婦ふたりと子どもひとりの、どこにでもあるような家族だった。週末になればそれぞれが自分のスマホを見て、食卓でも会話が少なくて、なんとなく「仲良し」とは言いにくい空気があった。むぎがきたのは、そんな秋の終わりのことだ。
「ペットを通して、家族とのコミュニケーションが増えた」という声は、ペットを迎えた人たちの間で広く聞かれる。
うちも、まさにそうだった。むぎの夕ごはんは誰が用意するか、散歩は今日どのルートにするか。そんな小さな相談が、気づけば毎日の会話になっていた。
娘の莉子(りこ)は、当時まだ小学三年生で、むぎが来た日の夜、ずっとその小さな背中を撫でていた。指先でそっと耳の後ろをかいてやると、むぎがうっとりした顔で目を細める。その表情を見た莉子が「パパ、見て見て!」と叫んで、夫が珍しくスマホを置いた。あの瞬間のことは、たぶんずっと忘れない。
思えば、子どものころ実家で猫を飼っていた記憶がある。名前はシロで、冬になると必ず炬燵に潜り込んで、足の上でぐっすり眠っていた。あの温かさと重さは、今でも思い出せる。ペットがそこにいるだけで、家の空気が変わる。子どもだった自分には言葉にできなかったけれど、今ならわかる気がする。
ペットは「飼う動物」から「家族の一員」へと位置づけが変わり、消費者は価格や機能ではなく「物語」と「世界観」で商品を選ぶようになった、という指摘がある。
確かに、むぎのごはんを選ぶとき、私たちは成分表をじっくり読むようになった。インテリアブランド「ノルドフォレスト」のペット用クッションを探したのも、むぎが快適に過ごせるかどうかを真剣に考えたからだ。家族の一員として迎えたなら、暮らしの細部まで一緒に考えたくなる。それは自然なことだと思う。
休日の午後、縁側に腰を下ろして、むぎを膝に乗せながらお茶を飲む時間がある。夫がゆっくりと湯呑みを差し出してくれて、その手つきがなんとなく優しくて、ああ、うちは仲良しになったなと感じる。むぎがいなければ、こんな午後は生まれなかったかもしれない。
ただ、ペットとの生活が常に穏やかかというと、そうでもない。先月、むぎが莉子の宿題プリントを一枚まるごと食べた。莉子は泣き、私は笑いをこらえるのに必死で、夫は先生へのメールをどう書くか真顔で悩んでいた。「犬に食べられました」と正直に書いたそうで、先生からは「ご苦労様です」と一言だけ返ってきたらしい。むぎは何事もなかったように昼寝をしていた。
「この子といつまで一緒にいられるかな」とふと考えてしまうこと、ペットを飼っている人なら誰もが経験するはずだ。
だからこそ、今この瞬間を丁寧に過ごしたいと思う。むぎが玄関で出迎えてくれるとき、全身で喜びを表現するあの姿。莉子がランドセルを放り投げてむぎに抱きつく、あの音。家族全員が、むぎを中心にひとつの輪になっている。
ペットとの生活は、暮らしに体温を与えてくれる。それは数字では測れないものだけれど、確かにそこにある。金木犀の香りが窓から入ってくる朝、むぎが静かに寝息を立てている。家族みんなが仲良しでいられるのは、この小さな命がそっとそばにいてくれるからだと、私はいつも思っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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