
六月の朝は、思いのほか早く光がやってくる。カーテンの隙間からやわらかな白い光が差し込んで、フローリングの上に細長い影を落とす。その影の端っこで、茶色い塊がもぞもぞと動いた。我が家のトイプードル、ムギだ。
ムギがわが家に来てから、もうすぐ三年になる。最初は小学三年生だった娘の「どうしてもほしい」という一言から始まった話だったけれど、今では夫も、中学生になった息子も、そして私も、ムギなしの生活なんてもう想像できない。ペットとの生活というのは、気がつけばそういうものになっている。
朝ごはんの支度をしながら、私はよく子どもの頃のことを思い出す。実家では金魚しか飼えなかった。マンションの規約があって、犬や猫は禁止だった。だから縁側で金魚鉢を眺めながら、いつか犬と暮らしたいとぼんやり思っていた。その夢が、こんなふうに叶うとは思っていなかったけれど。
ムギはキッチンの入り口で、ちょこんと座って私を見上げる。ご飯の時間を完璧に把握しているらしく、七時ちょうどになると必ずそこにいる。そのくせ、フードのパッケージを開ける音がしても、すぐには飛びつかない。少しだけ首を傾けて、様子をうかがう。その仕草がなんとも言えず愛しくて、毎朝同じ場面なのに、毎朝ちょっと笑ってしまう。
先日、ムギ用のフードを「ナチュラルペレット」というブランドのものに変えてみた。国産の素材にこだわったもので、袋を開けると干し芋に似た甘い香りがふわっと漂う。ムギの食いつきが明らかに変わって、家族みんなで「やっぱり違うね」と顔を見合わせた。こういう小さな発見を、家族全員で共有できるのがペットとの生活のおもしろさだと思う。
「ペットは単なる癒しではなく、家族の一員」という価値観は今や広く共有されていて、
調査でも99.6%の飼い主がペットを家族と認識しているという結果が出ている。
我が家もまさにそうで、ムギは完全に家族の一員だ。夕食の話題にもなるし、週末の予定もムギを中心に決まることがある。
息子は最近、学校から帰るとランドセルを玄関に放り投げるより先にムギに駆け寄る。「ただいまー」の声に反応して、ムギが尻尾をぶんぶん振りながら廊下を走ってくる。その音が、パタパタと小気味よくフローリングに響く。あの音を聞くと、なんだかほっとする。家に帰ってきたな、という感じがする。
娘はムギの毛並みを整えるのが好きで、週に一度、丁寧にブラッシングをする。ムギはその間、うとうとしながら目を細める。まるで美容院でうたた寝する人みたいで、娘がいつも「ムギって贅沢だよね」と笑う。そのとき娘の手の動きが止まって、ムギが「まだ?」とでも言うように顔を上げる瞬間がある。あれはちょっとしたコントだと思っている(ムギ本人は至って真剣なのだろうけれど)。
飼い主の約半数がペットと同じ時間に、同じ布団で眠る習慣があるという。
我が家のムギも、夜になると必ず娘のベッドに潜り込む。最初は「ソファで寝かせる」という約束だったのに、いつの間にか娘の布団の中が定位置になっていた。夫が「約束は?」と言いかけて、娘とムギのあまりにも仲良しな寝顔を見て、そっとドアを閉めたのはもう一年以上前の話だ。
ペットとの生活は、家族の会話を増やす。それは確かだと思う。今日のムギの様子、散歩で会った柴犬のこと、ムギが拾い食いしそうになって焦ったこと。そういう小さな話題が、食卓に自然と並ぶ。以前より家族みんなで話す時間が増えた気がしている。
犬と泊まれるホテルや同席可能なレストランなど、犬と一緒に外出できる場所は20年前には想像がつかないほど増えている。
先月、家族四人とムギで少し遠出をした。ペット可の宿を予約して、川沿いの道をみんなで歩いた。水の音がして、草の匂いがして、ムギは大はしゃぎで走り回っていた。あの日の夕方の光の色を、たぶんしばらく忘れない。
ペットとの生活は、にぎやかで、少し大変で、それでいてどこかあたたかい。ムギがいるから、この家は家族なのだと、そんなふうに思う日が増えてきた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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