
九月も下旬に差しかかると、夕暮れが少しずつ早くなる。会社を出るころにはもう空がオレンジから紺へと溶けていて、駅から自宅まで歩く十分間、風がほんの少しだけひんやりとしている。靴底がアスファルトを踏む音だけが耳に届く、そういう時間帯だ。
鍵を差し込む。ドアを開ける。
その瞬間、小さな足音が廊下を駆けてくる。
ミルクティー色の毛並みを持つ猫——名前はハルという——が、玄関先でぴたりと止まり、こちらをじっと見上げる。鳴きはしない。ただ、しっぽがゆっくりと左右に揺れている。
「帰ってくるといつもお出迎えしてくれるので、ひとりじゃないと実感できる」
とは、よく言ったものだと思う。本当にその通りで、どんなに疲れた夜でも、このしっぽの揺れひとつで、体の力が少しほどける。
一人暮らしを始めたのは、三年前のことだ。仕事の都合で地元を離れ、「フォリア」というインテリアブランドの小さな棚とグレーのラグだけを頼りに、六畳一間を整えた。最初の一ヶ月は静かすぎて、冷蔵庫のモーター音さえ気になった。
一人暮らしでは、ペットが心の支えになることもある
という話を読んで、半信半疑のままハルを迎えたのが、その翌月のことだった。
ペットとの生活が、こんなにも日常を変えるとは思っていなかった。
朝、目が覚めると、ハルがすでに枕元で丸くなっている。毛の温かさが頬にふれる。その重さと柔らかさが、なんとも言えない安心感を運んでくる。コーヒーを淹れる香りが部屋に広がると、ハルもつられるように起き上がり、キッチンの入り口で待機する。当然、猫にコーヒーは関係ないのだが、なぜかいつもそうする。たぶん、「人間が何かしている」という気配が好きなのだと思う。
仕事で疲れて帰ってきたときや、日常生活がうまくいかないとき、ペットがいてくれるだけで沈んだ気持ちが回復することがある
——そう聞いていたけれど、実感するまでに時間はかからなかった。先月、プロジェクトの締め切りが重なって、深夜に帰宅したとき、ハルは珍しく玄関ではなくソファの上で待っていた。目が合った瞬間、あくびをした。盛大に、口を大きく開けて。思わず笑ってしまった。怒る気にも、落ち込む気にもなれなかった(心の中で「お出迎えの気持ちはどこへ」と軽くツッコんだのは、ここだけの話だ)。
一人暮らしの楽しみは、誰かと分かち合うものだと思っていた。でも、ハルがいることで気づいたのは、楽しみは「共有」だけじゃないということだ。たとえば、窓から差し込む午後三時の光の中でハルが眠る姿を見ているだけで、それは十分に豊かな時間になる。光が床に伸びて、毛並みがふわりと輝いて、ときどき耳だけがぴくりと動く。それだけのことなのに、なぜか胸がいっぱいになる。
愛らしい仕草やペットとの暮らしを通して、一人暮らしの寂しさが紛れたり、メリハリのある生活を送れるようになったりした人も少なくない
という。まさしくそうで、ハルのご飯の時間に合わせて自分も食事をとるようになったし、週末の掃除もハルが快適かどうかを基準に考えるようになった。誰かのために動くという感覚が、生活に芯を通してくれた気がする。
子どものころ、実家で飼っていた犬が、雨の日だけ玄関マットの上でじっとしていたことを思い出す。雨の音が好きだったのか、単に濡れた地面が嫌いだったのかはわからない。でも、その丸まった背中を見ながら、なんとなく「この子も何かを感じているんだ」と思っていた。ハルを見ていると、あのころの感覚がよみがえってくる。
ペットとの生活は、にぎやかではない。むしろ静かだ。でもその静けさの中に、確かな体温がある。帰るたびに誰かがいる、という事実が、一人暮らしの夜をこんなにも変えるとは。九月の夜風の中を歩きながら、今日もそれを思う。早く帰りたい、と。ハルのしっぽが揺れているはずの、あの玄関へ。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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