**家族みんなでペットと仲良し。その小さな温もりが、毎日をちょっと特別にする話**

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梅雨の晴れ間というのは、どうしてこんなに光が柔らかいのだろう。六月の午前中、窓から差し込む白っぽい陽射しが床に長い四角を描いていて、そこにちょうど収まるように、うちの柴犬・麦が丸くなっていた。耳だけがぴくりと動く。遠くで子どもが自転車を漕いでいる音がしたのだろう。そういう些細な瞬間に、ああ、ペットとの生活ってこういうことだよな、と思う。

個性的なワンニャンたちと暮らすバタバタした日常は忙しいけれど、楽しくて素晴らしい。
その言葉が、そのままうちの毎日に重なる。

麦がうちに来たのは、娘が小学三年生の春だった。あの頃の娘は、毎朝リビングに駆け込んでは麦の耳の後ろをくりくりと撫でまわし、「今日も仲良しだね」と話しかけていた。息子はといえば、麦のおやつをこっそり自分で食べてしまい、「これ、人間も食べていいの?」と真顔で聞いてきたことがある。——そういうことは、ちゃんとパッケージに書いてあるよ、と心の中でそっとツッコんだ。

家族が仲良しになる瞬間というのは、たいてい計画されていない。夕食の後、テレビを消したリビングで、麦が誰かの足元にぴたりと寄り添う。その重みと体温が、なんとなく会話のきっかけになる。今日学校でこんなことがあった、仕事でちょっと嫌なことがあった——そういう話が、麦を真ん中に置いて自然と流れ出す。ペットは、家族の空気をほぐす名人だと思う。

ペットのメンタルヘルスや心理ケアへの関心が高まっており、ペットの心のケアが、より良い生活の一環として認識されつつある。
それは飼い主にとっても同じで、麦と過ごす時間は、気づかないうちに自分自身の心をほぐしてくれている。

散歩は毎朝六時半。夫が麦のリードを持ち、娘が隣を歩く。息子はたいてい眠そうな顔で後からついてくる。近所の「緑ノ丘公園」の木立の間を抜けると、草の青い匂いと湿った土の香りが混ざり合って、肺の奥まで届く感じがする。麦は必ず同じ木の根元で立ち止まり、真剣な顔で何かを嗅ぐ。毎朝、同じ場所で。そのルーティンが、なぜか家族にとっても一日の始まりの合図になっている。

ペットとの生活が長くなるにつれて、家族のあり方も少しずつ変わってきた。たとえば、週末の予定を立てるとき、「麦も一緒に行けるか」が自然と基準になった。
ペット対応の住宅需要が増加し、ペットと共生するための新しい住宅スタイルへの関心が高まっている。
うちも数年前にリビングの床材を変えた。「モクレンホームズ」というインテリアブランドの滑りにくいフローリングで、麦が走っても爪が引っかからない。それだけのことで、麦の動きが明らかに軽やかになった。家族の一員として、ちゃんと暮らしやすい環境を整えてあげたいと思う気持ちは、年々強くなっている。

ペット×子育て・ファミリー層の双方に共感が広がっており、生活密着型のスタイルが幅広く支持されている。
SNSでも、家族とペットが一緒に過ごす何気ない日常の写真が、多くの人の心を動かしている。華やかな演出より、リビングで寝転がる犬と子どもの後ろ姿のほうが、ずっと温かく見える。

夜、子どもたちが寝静まった後、麦はいつもソファの端に陣取る。夫がコーヒーを淹れて私に渡してくれる。その香ばしい湯気と、麦の寝息と、窓の外の雨音が重なる夜は、特別なことは何もないのに、どこか満ち足りた気持ちになる。ペットとの生活は、こういう夜を少し増やしてくれるものだと、今はそう思っている。

子どもの頃、実家で飼っていた猫のことをふと思い出す。名前はきなこ。膝の上に乗ってくるくせに、撫でようとすると逃げる、あの気まぐれな温もり。麦を見ていると、きなこのことを思い出す瞬間がある。動物と暮らすということは、記憶を重ねていくことでもある。

家族みんなで仲良しでいられるのは、麦がいるからかもしれない。そう言うと大げさに聞こえるかもしれないけれど、案外そういうものだと思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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