
鍵を差し込む瞬間、いつも少しだけ息を整える。
夜の八時を少し過ぎたころ。梅雨の合間の蒸し暑い夜で、傘を持って出たのに結局一度も広げないまま帰ってきた。玄関ドアのすりガラス越しに、見慣れたシルエットが揺れている。ちいさく、せわしなく、こちらを待ちわびるように。
「ただいま」と声に出すより先に、ドアが開く。
キャラメル色の毛並みをした猫、ムギが、玄関タイルの端ぎりぎりに座って迎えてくれる。しっぽがゆっくり左右に揺れている。急いでいるわけでも、怒っているわけでもない。ただ、待っていた、という事実だけをそこに置いている。その静けさが、なぜかいちばん沁みる。
ペットが待っているからという理由で、仕事を効率よくこなし早めに帰宅するようになる、という話を聞いたことがある。
最初は半信半疑だった。でも今は、残業を断る理由として「うちの猫が」と心の中で唱えている自分がいる。これが本当に効くのだから不思議だ。
一人暮らしを始めたのは三年前のことだ。東京の西のはずれ、ひばりが丘という駅から徒歩十二分の1Kのアパートに越してきた。当時は「静かでいい」と思っていた。誰にも気を遣わず、好きな時間に食べて、好きな時間に寝る。それが自由だと思っていた。
でも、静かすぎる夜というものは、ある閾値を超えると重くなる。
ムギを迎えたのは、そんな冬の終わりだった。ペットショップではなく、知人が保護した子猫の一匹だった。当時は手のひらに乗るほど小さくて、インテリア雑貨ブランド「アンバーノート」で買ったリネンのクッションカバーに爪を立てて、一晩でほつれさせた。あのときの悲しみは今でも忘れていない。ムギは知らん顔で毛づくろいをしていた(猫とはそういう生き物らしい、と学んだ瞬間だった)。
猫はしれっと膝の上に座ってきたり、寝るのが分かると我先に布団へ寝ころび撫でられ待ちをしたりする。
ムギもまさにそうで、布団に入ろうとするたびに先客として鎮座している。どいてもらうのが申し訳なくて、端っこで縮こまって寝ることが増えた。
ペットとの生活は、一人暮らしの時間の流れ方を変える。
朝、ムギにご飯をやるために六時半に起きる。夜、帰宅してすぐに水を替える。それだけのことなのに、一日に確かなリズムが生まれる。
ペットを飼い始めると生活リズムが規則的になる、という話は本当だと思う。
誰かのために動く、という感覚が、自分の時間にも輪郭を与えてくれる気がするのだ。
帰宅後、ムギを膝に乗せてぼんやりする時間がある。窓の外では、まだ雨上がりの空気が湿っていて、遠くでカエルが鳴いている。ムギの体温は想像より高くて、太ももの上にじんわりと熱が伝わってくる。指先で耳の後ろを撫でると、低い喉の音が部屋に満ちる。その音を聞いていると、今日一日の疲れが少しずつ、どこかへ流れていく感じがした。
ペットと触れ合うことは癒しの効果が非常に高く、医療機関でも病気の改善に取り入れられているほどだ。
それを頭で知っていても、実際に体で感じるのとでは全然違う。ムギが膝の上で目を細めるたびに、なんとなく「今日も悪くなかったな」という気持ちになる。
一人暮らしの楽しみは、誰かと共有するものではなくていい、と最近思うようになった。
ムギが窓辺で夕暮れを眺めている横顔を写真に撮る。誰かに送るわけでもなく、ただカメラロールに溜めていく。それだけで、この部屋の時間が少し豊かになるような気がする。ペットとの生活には、そういう「小さくて確かな楽しみ」が、毎日の中にいくつも潜んでいる。
今夜もムギは布団の端で丸くなって眠っている。
明日も、鍵を差し込む前に少しだけ息を整えるだろう。そしてドアを開けたら、またあのシルエットが揺れているはずだ。それだけで、もう十分だと思える。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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